アニマルコミュニケーションで心を通わせることの深い喜び
今年の6月、私の実家の老犬がなくなりました。「いち」という名の15歳10か月の女の子でした。
彼女の危篤の話は亡くなる前日に入り、翌日仕事後駆けつけましたが、ちょうど亡くなった直後だったようで、すでに息は引き取っていたもののまだ体には温かみが残っていたのでした。
気が済むまで抱っこをしながらやさしく目を閉じさせ、流動食を入れていたカテーテルを外しました。そのあと遺体が傷まないように体にアイスノンを当て、彼女の安らぎを祈りながら床に就きましたが、彼女はどんな思いだったのか、コミュニケーションを図ることにしたのです。
彼女を呼ぶと、私のハートスペースに降りてきた彼女は若く元気だったころの姿でした。おそらく年齢は1~2歳ごろ、とても毛並みが艶々して綺麗で美しい姿でした。ちょうど彼女が一番元気だったころは、近所のおばあさんから「いち姫!」と呼ばれたり、年老いてキャリーバッグから顔を出している状態でも、それを見た周囲の人たちから「かわいい!」と言われるほど、それはそれは可愛らしい女の子でした。
誰がどう見ても、年を重ねても可愛らしい子だったのです。そして、年老いて亡くなった姿が、魂となった姿は若くて美しく姿だったのです。
私は彼女に問いかけました。「今はどこにいるの?」と。そうすると彼女は「まだすぐ傍にいるよ」「今は痛くも苦しくもなんともないよ」と答えてくれて、さらに「もうすぐお父さんに会いに行く」といったのです。
彼女が一番大好きだったのは私の父でした。常に二人一緒というくらい、寝ているときも起きているときも散歩に行くときも、いつも一緒でした。それだけ二人の絆は強かったのでしょう。そして、彼女はこうも言いました。「生まれ変わってもまたお父さんに会えると思う」と。そう、きっと二人は生まれ変わってもきっとまた必ず会えることでしょう。だって、二人の絆は深いのですから。
私は彼女の魂の旅立ちの前に、尋ねました。「あなたがこの世に生まれてきて何か学んだことはある?」と。
彼女は「お父さんから愛をもらえたこと。お父さんから愛をもらって、家族の一員として皆から愛されてとても幸せだった。ありがとう。」と答えてくれました。うれしそうな表情を浮かべてそのように話してくれたのです。彼女のその偽りの無い表情と答えにこちらが涙してしまうような思いでいっぱいになりました。
最後に「また呼んだら来てくれるかしら?」と訊くと、「もちろん!」と答えてくれました。私は「じゃあ、その時にはもうお父さんに会えているかな?その時までさようなら。ありがとう。」と伝えると、「うん、またね」と彼女は笑って去っていきました。
昨年も自分のペットであったウサギを喪い、そして今回実家の老犬を喪い、ウサギは12歳、老犬は15歳と、ご長寿な方だったと思いますが、何歳の子でも、自分が何歳になろうとも喪う悲しみはつらいものです。
しかし、こうしてハートスペースに呼んで、亡き魂ともコミュニケーションが取れることは有難いものです。ただ、魂は次のステージへ上がっていくので、いつまでもコミュニケーションが取れるものではありません。
だからこそ、生きているうちに、できる限り一緒にいる時間を大切にしたいものです。
ありがとう、いち。
合掌