合理的な世界
先日クライアントさんとのカウンセリングの中で「合理的な世界」の話が話題に上がってきました。
この合理的な世界とは、感情を無くした人間の世界のことを言います。
感情というものは、時に厄介者になります。怒りがあれば相手とケンカしたりトラブルになります。
悲しいという感情を抱くと、下手したらうつ病になってしまうこともあります。
喜びは常にそれを追い求めて、とにかくいつも楽しく喜びがある状態になる刺激を探し続けます。場合によっては、「楽しくない」「つまらない」状態から逃れるかの如く、何かに依存するようになることさえあります。
この感情のコントロールができなければ、感情は人間を苦しめる元になるのです。
ですから、感情のコントロールがしっかりとできてこそ、お互いに安心して付き合っていける人間関係を築けるのです。
これが上手くいかないがために、ストレスに常に晒され続け、トラブルが絶えない生活を送り続けなければならなくなります。
それはそれで生き地獄とも言えるでしょう。
この状態を無くすためには感情を無くすのが一番合理的で良いのではないかというのが、そのクライエントさんが考え出した「合理的な世界」です。
感情抜きにやること、やらなければならないこと、取引や交渉なども淡々粛々とやれば、誰も喧嘩したりストレスを抱えることなく、日々の生活を送ることができるのではないかというのです。
確かにその通りかもしれません。終いには人間同士の直接的な接触をすることなく、すべてAIがコミュニケーションを担ってくれる未来になるかもしれませんね。
そうなれば面倒な人間関係に悩まされることなく済むかもしれないでしょう。
しかし、果たしてそれが私たち人間にとって良いことかと言うと、それは分かりません。
喜びや悲しみを感じたり、トラブルが起きるからどうすれば改善できるのかを悩んだり考えたりするからこそ、人間として成長できるのではないかとも思うのです。
感情のない世界になったら、音楽や芸術、芸能を見たり聞いたりしても何も感動しないなら、文化は廃れることでしょう。
アニメや漫画、スポーツなどに於いては特にそうでしょう。
歌手の歌声に感動したり、人が楽器を弾いて奏でる音に感動する、「感情」が「動く」から感動して、わざわざコンサートに足を運んでその歌手の歌声を聴きに行ったりするのでしょう。
ですから、人間が生きている以上、感情を失うということは、人間が生きていくためには絶対に欠かせないものであると、私は思うのです。
人間ですから怒ったり泣いたり、悲しんだり、喜んだりしても良いのです。むしろその方が自然です。感情がない方がメンタル的に危なかったりします。
問題は、感情をどのようにコントロールするかにかかっています。そのスキルを身に着け、感情がブレてしまっても、しっかりと自分の軸に戻ってこられる力こそが最も重要であると思います。
その力を身に着けるか否かは、詰まるところあなた自身の心の中にその答えがあるはずです。


