悲劇のヒロイン?

 自らの行いを自らの責任として引き受けられず、被害的に捉え、あたかも自分は悲劇のヒロインであるという在り方を選ぶ人を時々見かけます。

 

 話の内容を聞けば、一見本当に被害者のように見えますが、巧妙にその悲劇のヒロインを演じて、こちらを自分の都合の良いように操作しようとする有様が垣間見える時があります。

 

 その根底には、過去に自分が大切に扱われなかったという経験があったというケースが多いのですが、悲劇のヒロインを演じてしまうのは、そこから変わろうとするのではなく、そこにしがみついて、周囲のせいにしたり、自分以外の外部のせいにして、「私は何も悪くない」「誰か私を保護してちょうだい!」と自己憐憫をしているに過ぎないのです。

 

 本当にその過去から抜け出したい、変わりたいと思うなら、周囲のせいにせずに自らの責任において行動していくものです。

 

 過去に親からの虐待を受けていたなら、その過去から決別し、必要であれば親と物理的に離れていく、自分が幸せになるには何をすれば良いかを探す旅に出れば良いのです。

 

 そのようなひどい親とはいつまでも一緒にいる必要はないのです。

 

 不倫や実らない恋愛をしている人も同じです。なぜ、実らない苦しい恋愛を続ける必要があるのでしょうか?なぜ、そのような恋人といつまでも恋愛をするのでしょうか?結局は相手の都合の良いように自分が動いて、最後は捨てられるというパターンが分かっていても、その恋愛から卒業することができずにいるのは、自らがそうしたいから、そのようになっているのです。相手のせいではありません。自ら望んでいるのです。

 

 にもかかわらず、「私がいないとダメ」「相手が私を必要としている」と錯覚を起こしていることに気が付いていない場合もあります。

 

 つらいのであれば、離れれば良いのです。相手軸ではなく、自分軸に戻さなくてはなりません。実らない恋でも、それでも良いというのであれば、自らが積極的に動いて、相手の心を自分に振り向かせる努力をすれば良いでしょう。あるいは、「実らなくたって一向に構わない。今さえ楽しけりゃそれでよいのだ」と自らの意思で割り切って付き合えるのであれば、それも能動的な自分軸によるものですし、それだけの覚悟と自己責任を負えるのであれば、誰も止められもしなければ咎めもしないことでしょう。

 

 自らがそれでよいと思えるのであれば、それでよいのです。問題は自らしがみついていながらも、悲劇のヒロインになっていることに問題があります。

 

 それは自らがその問題から離れられずにいる、あるいは終わらせたくないと思っているから、ズルズルとそのような問題が続いてしまうのです。

 

 「なぜ私は離れらないのか?」という気づきから、問題解決の糸口が見えてきます。

 

 あなたは困った人間関係をいつまでも続けていませんか?いつまでも問題を引きずっていませんか?

 

 厄介な人間関係が終わらせずにいられない方は、今一度、自分と他者との関係について見つめ直してみましょう。

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