その怒りの根源
「怒り」という感情は、人が自分を守るためには必要な感情とされています。もっと動物的に考えると、自分の存在を脅かされる危険があるため、動物は威嚇をして、つまり怒って自分の身を守ろうとします。
人間ももとは動物ですから、自分を守るための本能として、怒りという感情を通して、自分を守ろうとします。
しかし、人間は動物よりも高度な生き物なので、その怒りの扱い方をきちんと考える必要があります。ここが人間の「理性」の部分にもかかってくる部分でもあります。
あなたは怒りを感じたとき、それは何故でしょうか?それは相手のせいでしょうか?それとも自分の痛い部分に触れられたからでしょうか?
理不尽なことをされたときに、怒って反撃をするのは自然な感情です。しかし、動物のように戦ったりケンカをすれば、傷害罪で捕まってしまいますので、それでは人間としての解決にはなりません。
怒りは洗練されて「意見」となって自分の身を守るために主張することができます。人間は言葉という便利なツールがあるからこそ、言葉で怒りを表現することができます。
そして、自分の痛い部分を突かれた時、その時に「怒り」を感じたとしたら、それはあなたの学びが隠されていることがあります。
それは時には自分の見たくない部分を他者によって表出させられることがあります。
そこで怒って相手のせいにするか、それとも自分自身の言動を見直す機会と捉えるか、それによって、あなた自身が成長できるかどうかの分かれ道になります。
「怒り」は自分を守るための大切な感情ではありますが、果たしてその「怒り」は他者のせいなのか、それとも自分自身の行いの元に引き起こされた怒りなのか。
「怒り」を感じたときこそ、よくよく自分自身をまず観察してみることをお勧めします。