なりたい自分になれるもの?
皆さんは普段何を目標にして過ごしていますか?なりたい自分になるために、何か目標を定めて毎日を過ごされているでしょうか?
そもそもなりたい自分とは、どんな自分でしょうか?
有名なライ〇ップのダイエットで〇㎏痩せる!などという目標は、とても分かりやすいですし、今の日本においては「痩せる=なりたい自分」みたいなところもありますね。
実際に痩せれば体も軽くなりますし、早く動けるようになりますので、何となくでも自信がつくような気持ちになれます。
また、ダイエットではなく筋肉をつけることも流行っていますね。あれは私個人的には良く分からないのですが、とにかく体を鍛えて、美しい筋肉を身につけることで、若々しく健康的で、さらに力も付くという、肉体的改革を行うことによって、自己肯定感のアップや自信を取り戻すツールにもなっているような気がします。また、そのような理想の自分を目標に設定することで、その目標に達することができたときは、この上ない成功体験と喜びを味わうことができるでしょう。
しかし、私が思うのはそれを達成したときに、次はどうするのか?という点です。例えば、ダイエットをするとして、10㎏体重を落とすことを目標に立てるとしましょう。
そして、その目標を達成できたとしたら、次は何を目標にするか、です。ゴールがあれば取り掛かりやすいですが、問題はそれを達成したあとの自分の在り方だと思うのです。
ここも含めて、何のためにその目標を立て、それが達成されたあとはどうしたいのか、どう在りたいのかで、人は分かれ道をたどるのではないかと思うのです。
この「成功」「充足」を得られたときに、「もっと」という欲が生まれたら、その欲をどのように扱うかで、先々充実した人生を送れるか否かがかかっていると言っても過言ではないでしょう。
「もっと」の欲に駆られ、さらに高い目標を定めそれをまた達成できたときに、またさらに「もっと」になれば、ただの執着になります。結局のところエゴの肥大に過ぎません。
分かりやすい具体例を言えば、ワンマンのパワハラ社長のようになります。
人は、何かを成し遂げるためには、自分を偽らざるを得ないことが多々あります。日常生活の場面においても、例えば、眠くても学校へ行かねばならない、仕事に行かねばならない等、些細なことであっても自分を偽って大人や社会から期待される自分であり続けようとします。そうしなければ社会生活を送れないからです。
しかし、それが積み重なって、本来の自分の感じている気持ちに気づくことができなくなると、やがて偽りの自分となり、他者の求められる自分、社会に期待される自分で生きていかなければならなくなります。
だからこそ、日々自分が何を感じているか、体のどこに何を感じるかを観察する必要があります。
10代の女子のダイエット志向には危険なものを感じます。「痩せていないと認めてもらえない」、「痩せているのが綺麗」と誤った認知をしている子どもたちが増えているだけでなく、良い年をした大人たちまでがそのような傾向に走っているように思います。
ルッキズムという言葉も流行っていますが、人は見た目が9割とは、まあ間違いとも思いませんが、それは内面から滲み出るような、その人らしさや人柄のことではないかと思います。ただ、痩せただけ、筋肉をつけただけでは何の魅力も感じません。
何かを目指しているうちにゴールや目標というものは変化していきます。これを達成さえすれば大丈夫等というものは、実は存在しないのです。
体重を減らした自分は「なりたい自分」になっていますか?「なりたい自分」は理想通りの自分になっていますか?そして、それはいつまで維持しますか?死ぬまで維持できますか?
こうありたい自分というものがある方は、「こうありたい」とは具体的にどんなものなのか、それは達成されたとき、それをどう活かすのか、よく考えて目標を定めることをお勧めします。