不安の力
日々の生活を送る中で、全く不安のない人はいないことでしょう。
私たちは、今の時間軸の中で生きながらも、先の将来の心配をしたり、過去の出来事をいつまでも悔やんでしまう経験は多いものです。
逆にいえば、私たちは十分に「今」という時を味わって生活することなど、少ないのかもしれません。
子育てをしている人は、成人して社会に出るまでは常に我が子の先行きを案じることをしない日々はないでしょう。あるいは子供同士のケンカが「虐めた」「虐められた」などの問題にまで発展し、相手の親との折り合いをつけることの難しさや学校を巻き込んでの大問題にまで発展したり、そうかと思えば不登校になって全く学校へ行かなくなってどうしたら良いものかと思い悩むことも多いでしょう。
会社勤めの人は、上司のパワハラに悩まされたり、部下が全く仕事をせず、自分が負担を負わざるをえなかったり、女性社員同士でマウントを取ったり、取られたり・・・等挙げればキリがありません。
夫婦問題でも、義理両親の介護問題から、夫婦不和、離婚、別居など、とにかく人生は問題だらけで、何をどう解決すればよいのか、なかなか冷静になる時間を設けて、冷静に話し合う時間を設けること自体も困難です。
時間はあれよあれよと過ぎ去り、「こうしたかったのに」「こうなりたかったのに」という後悔を残しつつ、それを受容し未来に向けて歩みだすにも、先々の不安が勝り、一歩が踏み出せずにいる人も多いことでしょう。
このように、毎日、毎日、不安のはざまの中で揺れながら生きることが、私たち人間の生き方の定めなのかもしれません。
多くの人が自分の人生に納得し、能動的に思うように生きていきたいと願うのが常でしょう。
そのためには、いかに不安から抜け出して恐れずに自分の思うように生きられるか?その方法が問われてくるわけです。
ならば、占いではそれが割り出せるか?というとなかなかそんなに上手くゆくものでもありません。ホロスコープには一見不幸であると見られるようなエピソードも運命プログラムには組み込まれているものもあります。ですから、それは避けて通ることはできません。
占っても、将来不安に苛まれるようなことが起きるとしたら、その不安はどう扱えば良いのかという問題があります。
しかし、「不安」という能力は、生き物であれば必ず備わっている能力でもあります。これを払拭したり、無くすということは不可能です。
では、どうすれば良いのか?
不安は無くせませんが、減らすことは可能です。不安という能力は、もっと動物的に考えると、不安という出来事が起きたとき、「逃げるか」「戦うか」を瞬時に判断する必要があります。
例えば、ネズミが猫に追いかけられるという場面があったとき、ネズミは「逃げるか」「戦うか」のどちらかを選ばなければなりません。
逃げるにしても戦うにしても、相当量のエネルギーを費やす必要があります。そのため体中の血流の流れはスピードを上げ、血圧は上がり、逃げるか戦うための体の準備をします。
酸素を体中に送るために呼吸が浅くなります。こうして体は緊張状態となり、逃げるか戦う準備に入ります。
これが不安の原理です。
人間の場合、動物のように食うか食われるかの命の生存問題とまではいかずとも、根源的な部分ではやはり自分の生存の危機を感じるために、不安として現れることがあります。
ここで大事なのは、不安は自分の生存のための大事なセンサーであることです。
このセンサーが弱すぎると、かえって自分自身を危険な目に遭わせてしまう確率が高まってしまうのです。ですから、「不安の力」とは、自分を守るために必要な大事な能力なのです。
そして、さらに大事なのは、この不安の力をいかに自分でコントロールするか、という点です。そのためには、「今、自分が何を感じているか」という自覚する力が非常に重要になります。
私たちは、あまりの忙しい時代に身を置く状態にさらされ過ぎて、あるいは情報の洪水に流され、自分が何を感じているのかが鈍感になり過ぎてしまいました。
あなたは過去の失敗や後悔をずっと引きずっていませんか?先々の将来を心配し過ぎていませんか?
そのような自分に気づくことから、不安をコントロールできる一歩が始まります。